モダニズムの先を見据えて/おいしいマグカップ

モダンデザイン幻想から解放

 珈琲がおいしく飲めるマグカップをデザインして、波佐見焼(長崎県)で製作してもらい朝夕に使っている。通常のものよりこのカップで飲む珈琲は、自分で言うのもなんだが、匂い味とも濃く感じられておいしい(気がする)。味は個人差があるため、データ化し難い。そのため例えば本来、器のデザインだったら中身がよりおいしくなるために設計されるべきなのに、それに挑むメーカーはない。日頃、我々の生活を支配するモダンデザイン幻想(スタイル優先)から解放されないと新しいモノはできない。積年のそんな思いもあり、答えのない命題 “おいしい” デザインに挑んだ。

 始まりはちょくちょく学生と訪れる京都で立ち寄るイノダコーヒーのマグカップでいただく一杯がいつもおいしかったから。それ以降その理由を考えてきた。無論豆が上質なのはわかっているが、何かそれ以外の要素があるような気がした。サイズ、飲み口の厚み、陶磁器の素材感もある、などなど。

「先生、マグカップにデザインなんてあるんですか?」

 当然この疑問を解決するには、芸大の我が研究室メンバーだけでは片肺、科学の力が必要だ。そこで東工大生の手を借りることにした。ちょうど2017年から東工大の大学院で特任教授として演習授業を受け持っていて、その課題をどうするかも悩んでもいた。一石二鳥、この受講生たちに「おいしいマグカップ」のデザインを考えてもらうことにした。工学系で教えるデザインは、ポイントが芸術系とは違うと思う。モダンデザインの審美的価値基準ではなく、科学に裏打ちされた機能的価値基準をベースとしなければ、彼らの資質を引き出せない。そしてこの違いが他の領域で教鞭を取ることの喜びでもある。「先生、マグカップにデザインなんてあるんですか?」、当初、知性のない課題と感じたのか、ぼやく秀才が多々いたが、講義を進めるうちに彼らの科学思考回路が動き出し、目の色が変わってきた。「舌との関係で珈琲をおいしいと感じる大きさ(径)があるかも」、「珈琲はアロマでもあるから、匂いや温度との関係が重要」など科学的な仮説が捻り出されていく。芸大にはないアプローチで、こちらが大いに刺激になった。

彼らがまとめあげたその仮説(レシピ)の要点は、

① 飲み終える時なるべく冷めてないこと

② 珈琲の味に最適な器の径(舌の味覚センサーとの関係)があるのではないか

③ 珈琲はアロマでもあり、匂いを漏らさない形状、の三つ。

 そのレシピを受け、冷めづらい機能として下部のみ中空構造(最初は冷めやすく、後半保温というシークエンス設計)に、径 は細めでスマートな形状、また飲み口を斜めにして、飲む際に香りを逃さないようにデザインした。実際狙い通り下部の中空構 造は冷めづらく約10分後飲み終える頃の温度が 5~6度高い。約2年たち、「普通のマグカップより味が濃い、香りが立つ」と、モニターの結果も上々。何より家人が買う格安の珈琲も数 % おいしくなる(気がする)のが嬉しい。人の一生は定量、だとすると “おいしい” 経験が多いことは笑顔を増やし、健康にもいい。それこそ “笑うデザイン” と言えまいか。

長濱雅彦

冷めづらい機能として下部のみ中空構造
(最初は冷めやすく後半保温というシークエンス設計)に
東工大生と芸大生の おいしいマグのプロトタイプ
日本人がマグカップに出会ったのはデニーズなどのアメリカ型レストランチェーンが進出した70年代前半、ほぼ50年前である。それまではマグカップ文化はなかった。それ以降はスープにジュースに牛乳に、はたまた晩酌の焼酎お湯割まで、TPOなどお構なしにほぼ飲み物はマグカップ、大活躍である。
イノダコーヒーのカップサイズは、東工大生の導き出した径と同じ。おいしさの科学がある。おいしいマグカップの段差は 中空構造との境。段差は必要不可欠なデザインでこれがないとヒケなど歪みが出る。
飲み口を斜めにして飲む際に香りを逃さないようにデザインに