モダニズムの先を見据えて/アントニオ猪木のバッグ/アトリビュート

近代デザインのゴール線はもう通過した?

 毎年交わす学生との問答の一つに、「老若男女がユニクロに身を包む社会をどう捉えるか」というものがある。機能的で無駄のなく、だれもが手に入れられるデザインは近代デザインの目標であり、この現象はもうゴール線を通過したと言えないか、そう問いかけている。また日常の道具類もスマホの中にそのほとんどが内蔵され、お金すら不要。これもシンプルライフの極みであり、近代デザインの目指した姿勢である。「ユニクロを着てスマホを使う社会は、理想なのか。何をするかは自由だが、それを踏まえた上でのデザイン研究であれ」と学生たちにはハッパをかけてきた。

その人間の生き様、むしろ本性のこと

 アトリビュートという言葉がある。通常、美術表現として使われる言葉で、人物の素性、特徴を明らかにする持具のこと。正確には西洋絵画における登場人物の持ち物である。例えばマリア様の赤い服と青いマント、またヨハネの十字架といった具合に持具によってその人を表す。日本においては武士の鎧や職人の道具、踊り子や噺家の衣装などが当てはまるだろうか。このようにその人間が何者であるかを表現する持ち物を、アトリビュート(持具)と呼ぶ。アトリビュートは、個性的な持ち物という意味ではない。ファッションという外的側面ではなく、その人間の生き様、むしろ本性のことである。絵画の世界ほど象徴的なモノではないにせよ、我々にとって持具とは何か、この命題に次なるデザインの扉を開く鍵があると思っている。モノよりコトが近代デザインの次なる目標として掲げられるが、アトリビュートの視点からモノを捉えると、モノの魅力があらためて見えてくる。たかがモノ、されどモノである。

野生を一瞬にして伝えるデザイン

 写真は昭和のスーパーヒーロー、プロレスラーアントニオ猪木氏が愛用したボストンバッグである。エース株式会社の「世界 のカバン博物館」(浅草駒形)の著名人コーナーにこのバッグは展示されている。このカバンはまさに「戦う闘魂アントニオ猪木」そのものを表していて、アトリビュートとも言える逸品である。ブラジル生まれの野生を一瞬にして伝えるデザインは、バッファローの皮にラテン文化の装飾がカービングされ呪術的で力強い。アントニオ猪木という、いわゆるペルソナは、戦う闘魂であり、スポーツ選手ではない。決められた箱の中ではなく大自然の広 大な地平、古代からの格闘という世界の中にその衣服や持ち物のデザインは存在するのである。

 いま我々にもこのバッグのように自己の素性、生き様から湧き出た持具が必要ではないだろうか。サラリーマン社会の中でストレスのないものに囲まれた暮らしは、便利ではあるが不確実な社会であり、見えない大きなもの(核?持続社会?)に管理された社会でもある。昨今の現代人の自己実現欲求は、逆から見ればこの“アトリビュート探し?”とさえ思えてくる。また我々が職人に憧れを抱くのは、彼らには現代人が失った持具、アトリビュートがあるからではないだろうか。

長濱雅彦

写真:「クラフトボストン」アントニオ猪木氏寄贈 世界のカバン博物館所蔵 筆者撮影